History of Cambodia




 カンボディアは1世紀から6世紀にかけてフーナン王国、6世紀から8世紀中頃にかけ
てチェンラ王国として繁栄し、8世紀後半に、一時、ジャワ王国の支配下に置かれました
が、9世紀ジャワ王国から主権を奪回し、以降15世紀まで隆盛を極めたクメール帝国の
「アンコール時代」が続きました。
 その都城である「アンコール」は約7万人から8万人を超える人口を擁する、繁栄した
都市でした。が、その後、タイ・ヴェトナム両国にしばしば侵略され、1863年にはフ
ランスの保護国にまで転落し、まさに辛苦の歴史を歩んできました。1941年、日本軍
が進駐し、フランスの勢力は後退しましたが、45年の日本の降伏に伴い、再びフランス
がカンボディアに復帰したことにより、シハヌーク国王の主導の下、カンボディアの独立
運動が激化し、53年11月9日「カンボディア王国」として完全独立を達成しました。
当初、カンボディアは隣国、その他の国からの圧迫からの独立確保を狙いとして中立政策
が推進されましたが、ヴェトナム戦争を背景に70年親米右派のロン・ノル国防相による
クーデターが発生し、再びカンボディアは苦難の道を歩き始めました。
 その後ロン・ノル政権はポル・ポト政権に打倒され、ポル・ポト政権は全土に恐怖政治
を敷くようになりました。ロン・ノル派の処刑に始まる一連の粛正行為は、知識人、熟練
技術者はもとより、子供にまで及びました。75年から79年までの4年間で虐殺された
人数は、実に人口の約3分の1であったと言われています。
 このポル・ポト政権も、79年のヴェトナム軍の侵攻と親ヴェトナムのヘン・サムリン
政権に倒され、ポル・ポト派はジャングルに逃れ、ゲリラ戦を展開し始めました。それ以
後、82年7月に、ポル・ポト派は、シハヌーク派、ロン・ノル系のソン・サン派と「民
主カンボディア連合政府」を樹立(90年に「カンボディア国民政府」に改称)しました
が、その後も内戦状態は続き、泥沼化の状態になりました。
 87年に入り、緩やかながら米ソの緊張緩和を背景に和平の道を歩み始めましたが、内
戦時に設置された地雷の被害が多発し、難民の帰還問題等、様々な問題を抱えることにな
りました。それらの問題を解決するために、92年より国連平和維持活動が展開されまし
た。93年には国連監視の下、総選挙が実施され、新体制が敷かれ、着実に平和への道を
歩み始めています。